概要
正徳3年、芝増上寺の門前にあった芝富山町が火除地となり、その代地としてこの地が与えられ、神田富山町が誕生しました。この町には日常生活の品々を商う人々が住んでいたようですが、慶応年間の「江戸食物独案内(えどたべものひとりあんない)」には、このあたりに醤油や醤油諸味(もろみ)を扱う店があったと記されています。野田や銚子でつくられた醤油などは、神田川の佐久間河岸で荷揚げされ、和泉橋を渡って町内の三河屋(醤油)や伊勢屋(諸味)に運ばれたものと思われます。
正徳三年から三百年
人々の生活に寄り添い
神田の歴史を見守り続けてきた町
since 1710’s
正徳3年、芝増上寺の門前にあった芝富山町が火除地となり、その代地としてこの地が与えられ、神田富山町が誕生しました。この町には日常生活の品々を商う人々が住んでいたようですが、慶応年間の「江戸食物独案内(えどたべものひとりあんない)」には、このあたりに醤油や醤油諸味(もろみ)を扱う店があったと記されています。野田や銚子でつくられた醤油などは、神田川の佐久間河岸で荷揚げされ、和泉橋を渡って町内の三河屋(醤油)や伊勢屋(諸味)に運ばれたものと思われます。
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江戸時代のはじめ、この界隈(かいわい)は武家屋敷が立ち並んでいました。商人や職人の町となったのは、そのころ相次いで起こった大火のためです。各地に「火除地(ひよけち)」(防火や避難のための空き地)が設けられ、もともとそこに住んでいた人々が新しい土地を与えられて移り住むようになったのです。
将軍家の菩提寺(ぼだいじ)である芝(しば)増上寺(ぞうじょうじ)の門前町であった芝富山町(しばとみやまちょう)は、正徳(しょうとく)三年(1713年)、増上寺の火除地となり、代地として与えられたこの地に移ってきました。当時、芝富山町からきた人々は、神田富山町一丁目(かんだとみやまちょういっちょうめ)、神田富山町二丁目(かんだとみやまちょうにちょうめ)という二つの町を組織していました。神田富山町の名前はこのことに由来しています。 その後、神田富山町には日常生活の品々を売る人たちが住み続けていたようです。慶応(けいおう)年間(1865年~1868年)に記された「江戸食物独案内(えどたべものひとりあんない)」には、このあたりに醤油(しょうゆ)や醤油諸味(しょうゆもろみ)(醤油の原料を混ぜ合わせ発酵させたもの)を扱う店があったと記されています。
明治二年(1869年)、神田富山町一丁目と同二丁目の一部、神田三島町(かんだみしまちょう)の一部、神田永井町(かんだながいちょう)の一部を合併して神田富山町が誕生しました。明治五年(1872年)には隣接する神田永井町を編入しています。明治四十四年(1911年)、いったん富山町と改称しましたが、昭和二十二年(1947年)、神田区と麹町(こうじまち)区が合併して千代田区になると、ふたたび神田の冠称を付けて神田富山町となりました。 江戸時代から続く由緒ある名前をもつこの町は、長い歴史と伝統に培われた人情味あふれる町なのです。
1713年(正徳3年) | 神田富山町1丁目・2丁目 |
1869年(明治2年) | 神田富山町が誕生 (1丁目と2丁目が合併) |
1878年(明治11年) | 神田富山町 神田区が誕生 |
1911年(明治44年) | 富山町に改称 |
1947年(昭和22年) | 神田富山町 千代田区誕生と同時に改称 |
平成20年3月、和泉橋地区町会連合協議会の創立50周年を記念し、各町会の方々からお話をお伺いするなどして発行された「東方見聞録」には、富山町会の設立は「昭和30年1月30日」と記載されておりました。
千代田区の区政の歴史が記された「新編 千代田区政史 (区政史編)」に掲載されている神田和泉町会の記念誌から引用された内容によれば、「昭和22年4月に GHQの命令で町会隣組を解散する指令を受けて、町会は一時期空白状態になったが、衛生会、青年会が代わって自治活動を行い、昭和26年対日講和条約締結に伴い、各組織が一本化し、昭和28年10月再び町会として再発足し、今日に「至っている」と記されております。
町会設立に関係する千代田区の動きとしては、昭和28年8月に「町会組織運営基準」が制定され、昭和30年7月に「和泉橋地区連合町会」が発足し、昭和33年5月には現在も存続している「和泉橋地区町会連合協議会」が発足しています。
また隣接する東松下町会の発足は昭和28年5月で、その当時の東松下町会は11月末決算であったことから、富山町会も同時期頃の設立であったことが推察されます。
町会設立当初(と思われる)から現在までの当方で把握している歴代町会長(敬称略)は次のとおりです。
初代 | 須田 政之輔 | (~昭和36年1月) |
2代 | 国井 護 | (昭和36年1月~昭和40年1月12日) |
3代 | 渥美 源五郎 | (昭和40年1月12日~昭和44年4月1日) |
4代 | 島西 和雄 | (昭和44年4月1日~昭和56年1月22日) |
5代 | 大曽根 村治 | (昭和56年1月22日~昭和59年7月23日 ) |
6代 | 東野 泰一 | (昭和59年7月25日 ~ 昭和60年1月23日 ) |
7代 | 押味 尚夫 | (昭和60年1月23日 ~ 平成5年1月26日) |
8代 | 吉田 秀雄 | (平成5年1月26日~平成17年6月1日) |
9代 | 松崎 浩一 | (平成17年6月1日~平成24年1月27日) |
10代 | 北清 昭男 | (平成24年1月27日~令和2年1月23日) |
11代 | 津田 慎司 | (令和2年1月23日~) |
役員名称 | 役割分担 |
---|---|
町会長 | 町会、連合町会及び千代田区全般の窓口 |
副会長 | 会議・祭事等の町会運営全般 |
副会長・婦人部長 | 町会婦人部の推進及び連合町会との連携 |
副会長・庶務部長 | 町会及び連合町会関係の庶務全般 |
会計部長 | 町会の会計・金銭出納全般 |
会計副部長(婦人部担当) | 婦人部の会計・金銭出納全般 |
防火防災部長 | 防災イベント、火災予防運動、歳末特別警戒等 |
防犯交通部長 | 防犯協会・交通安全運動、歳末特別警戒等の対応 |
福祉厚生部長 | 町会の高齢者支援及び社会福祉協議会との連携 |
環境衛生部長 | 地域の環境保全・清掃維持管理の推進 |
青年部長・兼法人会員勧誘促進担当 | 町会青年部の推進及び連合町会との連携 |
監事 | 町会の会計についての監査 |
相談役 | 町会及び連合町会の運営全般についての助言 |
顧問 | 町会各部の運営についての助言 |
時期 | 活動内容 |
---|---|
1月頃 | 町会会計決算集計・役員会 |
2月頃 | 神田富山町会総会開催 神田駅東連合町会 合同親睦会 |
3月頃 | 神田祭り 祭典実行委員会 |
4~6月頃 | 神田神社例大祭 神田祭り 区内一斉清掃活動・交通安全週間 |
8月頃 | 神田駅東連合町会 納涼イベント |
9月頃 | 町会防災啓蒙イベント・交通安全週間 |
10月頃 | 千代田区民体育大会 (地区対抗大運動会) |
11月頃 | 区内一斉清掃活動 |
12月頃 | 年末夜警巡回 |
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神田祭は、隔年の5月上旬に開催される伝統的な祭りです。神田明神を中心として行われる祭りであり、古くからの歴史と文化を背景に、多くの人々が訪れる盛大なイベントとなっています。
祭りのメインイベントは、神田明神の神輿渡御 (みこしとぎょ)です。御輿を担ぐ人々が力強く神田地区を練り歩く様子は迫力があり、見物客も熱狂的に応援します。
神田富山町会の神輿は、108あるすべての町会のなかでもいちばん最初に宮入することから、テレビ中継などにもよく登場します。
祭りの時期が近づくと、町会員は一丸となって、そのための準備をおこないます。神輿が通るルートについて警察署に許可を求めたり、当日の担ぎ手の方々のために食事の手配をしたりと、祭りの開催には様々な準備が必要です。
そして当日は、御神酒所の設営にはじまり、神輿が向かう先々で交通整理をおこなったり、子供神輿の引率などをおこないます。もちろん、神輿を担ぐことも重要な役目のひとつです。
大変な仕事ではありますが、それだけに、無事に祭りを終えたあとは他で味合うことのできない達成感を得ることができます。
私たち神田富山町会は、神田富山町の地域コミュニティを支え、地域の発展と安心な暮らしを実現するために活動しています。町内の清掃活動や防災訓練、地域イベントの企画運営など、様々な活動を通じて地域の魅力を引き出し、皆様と一緒に楽しい地域づくりに取り組んでいます。
入会をご希望のかたは、当フォームよりお問い合わせください。
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